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無能なトップは社会の害悪 [社会・環境問題]

⊃`ノ八"`ノ八_〆( ̄ー ̄ヘ)))

十分な能力がなければ、たとえ善意があっても事態を悪化させるばかりです。例えば、海外医療派遣チームに入るには十分な語学力と臨床経験が求められますよね。技能や能力を持たない人が参加しても、足を引っ張るだけだからです。

自民党の議員さんがそんなに勉強していたとは・・・・知らなかったですねぇ。翻って、現民主党政権のお歴々は・・・・

さて、国難とも言える今回の大震災で、重要な責務を負わされているのは、もちろん最高司令官の首相です。しかし、残念ながら、阪神淡路大震災の時と同様、我らが最高指導者は無能なようです・・・・

ァチャ─(ノд`(ノ∀`(ノc_`(ノω`(ノ益`◎)─モゥ見テラレン…

---------------------------(産経新聞2011.3.28より抜粋)--

放水焦る官邸 効果考えず場当たり的指示
福島第1原子力発電所で放水作業が行われた自衛隊の特殊消防車=18日(自衛隊提供)

福島第1原子力発電所で放水作業が行われた自衛隊の特殊消防車=18日(自衛隊提供)

 東京電力福島第1原子力発電所では、冷却機能復旧に向けた作業とともに、使用済み核燃料 プールへの放水が続けられている。27日には50メートル以上の高さから狙った場所に放水できる民間のコンクリートポンプ車が1台追加された。最も有効で 安全な方法とされるが、現場に投入されたのは自衛隊、警察、消防による放水の後だ。政府内でも「順番」が疑問視され、官邸の情報収集や判断能力不足を指摘 する声が目立つ。

 19日午後に開かれた「各党・政府震災対策合同会議」の第1回実務者会合。公明党の石田祝稔政調副会長は、民間のドイツ製コンクリートポンプ車について、「国土交通省は存在を知っていたはずだ」と官邸と省庁との連携不足を指摘した。

 公明党の説明では、ポンプ車の活用を官邸側に提言し、19日朝に「使う」と回答があったという。官邸はそれまで、自衛隊と警察、消防に半ば強引ともとれる放水要請を繰り返しており、注水に最も効果的なポンプ車の存在を知らなかったとみられる。

 核燃料プールへの注水が急浮上したのは震災4日後の15日早朝。定期点検のため運転を停止していた4号機で水素爆発と火災が発生し、注水による冷却が急務になった。

 複数の政府関係者の話を総合すると、官邸側はすぐに自衛隊にヘリコプターによる散水を要請。しかし、「完全に吹き飛んでいない建屋に上空から水を放水するのは危険」と、性急な実行は見合わされた。自衛隊関係者によると、自衛隊は当時、前日に 起きた3号機の水素爆発での隊員負傷の対応をめぐり、経済産業省に不信感を抱いていたという。

 放水を焦り、自衛隊の対応に不満を募らせる官邸は翌16日朝、今度は経産省を通じ、すでに高圧放水車を東電に貸し出していた警視庁機動隊の出動を警察庁に要請。警察庁は「一刻も早く」という指示に、急遽派遣した。

 一方、午後には防衛相の放水指示を受けた陸自のヘリが出動したが、放射線量が高く断念した。しかし、警察の出動が報じられた夜には、ヘリからの放水再挑戦と消防車による地上からの放水を決断。17日午前にヘリからの放水を決行した。

  夜には機動隊に続き、自衛隊も地上からの放水を実施。派遣要請を受けた東京消防庁も出動し、19日未明に放水を成功させた。その後、準備に時間がかかった 東京消防庁に海江田万里経産相が「言う通りやらないと処分する」と恫喝まがいの発言をしたことも発覚。海江田氏は謝罪している。

 政府関係者は「官邸が省庁間の調整も満足にできなかったため、結果的に冷却効果の小さいものから順番に現場に投入された」と指摘する。実際にポンプ車が稼働したのは22日になってからだ。

 放水能力や技術などの検討もないまま、場当たり的に出動を命じた官邸の判断に、政府内から も批判の声が上がる。別の政府関係者は「官民挙げて投入できるものをテーブルに並べ、最優先の投入を決めるという判断がまったくできていない。情報力もな く、まさに政治主導という虚像の弊害だ」と憤る。

 現場レベルでも不信感は根強い。ある関係者は「官邸は『やれ』の一点張り。現地に赴く人の命や安全を本当に考えているのか」と訴える。21日に東京消防庁の活動報告会に参加した隊員の一人は、「(石原慎太郎都)知事は涙を流して礼を言ってく れた。上からものを言うだけの官邸と違う」と吐露した。


「独善」「場当たり」の首相 大震災に現れたヒトラーの亡霊
会見に臨む菅直人首相(手前)。その東日本大震災における“指揮ぶり”は、ヒトラーを思わせる=18日、首相官邸(酒巻俊介撮影)会見に臨む菅直人首相(左)とアドルフ・ヒトラー(下)

その東日本大震災における“指揮ぶり”は、ヒトラーを思わせる=18日、首相官邸(酒巻俊介撮影)

 北澤俊美・防衛相(73)の好きな言葉に「文民統制シビリアン・コントロール」があるが、生半可に理解している節がある。アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)は第二次世界大戦においてドイツ国防軍や親衛隊を指揮・統率したが、ヒト ラーは「文民」であるからして、独軍は「文民統制」されていたことになる。そのヒトラーの指揮・統率ぶりはつとに知られる「独善的」に加え、意外にも「場当たり的」面も少なくなかった。「独善的」「場当たり的」といえば、東日本大震災における最高指揮官・菅直人首相(64)の“指揮・統率ぶり”そのもの。 国家危急を前に、とんでもない指導者が現れる歴史の悲劇は、世紀をまたいで繰り返される。

 ヒトラーによる「場当たり的」指揮・統率の背景に、自身が持つコンプレクスがある-という分析は興味深い。ヒトラーはドイツが誇る軍参謀本部に陣取る参謀からの戦略・戦術・作戦について進言を折々に、意識的に退けた。将校は原則として、士官学校を皮切りに、昇進する度に各学校・教育課程に入校を繰り返す軍事のプロ。中でも参謀本部の参謀はえり抜きのエリート集団である。その情報収集・分析力はヒトラーの及ぶところではない。しかし、ヒトラーはあくまで我を貫いた。第一次世界大戦(1914~18年)で は、大日本帝國陸軍でいえば兵卒最上位の兵長か、次位の伍長勤務上等兵に過ぎなかったヒトラーの、エリート将校への反発は、尋常ではなかったとも言われ る。

 例えば第二次大戦(39~45年)で、参謀本部はフランス東部の独国境沿いに構築した堅牢な仏軍マジノ要塞群(線)の突破は不可能と 判断し、仏攻略に消極的だった。ただし、消極的ながらも参謀本部は、第一次大戦前にドイツ陸軍元帥アルフレート・フォン・シュリーフェン伯爵 (1833~1913年)立案の「シュリーフェン・プラン」を応用した作戦を、ヒトラーに進言した。原案は、ロシアをにらむ東部戦線には最小限の寡兵で警 戒し、西部戦線右翼の主力はベルギーの中立を侵犯、旋回を強行し、北仏に回り込んで、仏軍などをマジノ線背後で殲滅する-流れを基本としていた。

・コンプレクスが自信に

 一方、参謀本部へのコンプレクスに加え、第一次大戦で悲惨極まりない塹 壕(ざんごう)戦を経験したトラウマも手伝い、ヒトラーは参謀らの上申を極めて不快に感じ、参謀本部が却下した「マンシュタイン・プラン」を、あえて採用 する。「マンシュタイン・プラン」とは、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン陸軍元帥(1887~1973年)策定の作戦で“売り”は本来、戦車・重砲の 迅速・大量通過が困難とされる森林地帯を突破・越境するという点にあった。参謀本部案が連合軍側に漏洩していた可能性を危惧した面もあろうが、作戦の持つ 華麗さも、ヒトラーの気を引いたようだ。

 結果は、作戦の意外性に加え、連合軍側の下策や仏軍の旧態依然の軍事思想、指揮命令系統の乱れなどにも助けられ、マジノ線は破られ、連合軍にダンケルク撤退を強い、パリは短期間で陥落する。参謀本部も予想外と驚く「ほぼ完勝」を呼び込んだ。

 ヒトラーのコンプレクスは自信に変わり、自らを「軍事的天才」と思い込み(否定できない部分もある)、周りもプロパガンダとして流布させた。以後、参謀本部の作戦計画をますます退け、退けては悦に入った。かくして、ドイツは滅亡への速度を加速させていく。

・重なる菅首相の脅え顔

 菅首相も大震災以前から「政治/官邸主導」と称して、文民参謀=官僚ら の才を無視。政策の落ち度は官僚のせいにした。原発建屋爆発や放射能漏れが現実となるや東京電力も恫喝した。大震災と東電福島第1原発事故の渦中に行った 自民党総裁への大連立構想打診にあたっては、盟友の仙谷由人・官房副長官(65)にさえ知らせぬ「独裁者」(民主党ベテラン)ぶりを発揮した。

 軽視され、秘密裏に軍事作戦を立案され続け、恫喝された揚げ句、負け戦の責任を転嫁された参謀本部参謀や一部将軍と、ヒトラーとの関係を彷彿させる。ヒトラーはマンシュタイン元帥の作戦を大きな感銘を持って聴いた後、元帥を下がらせてから側近に語った。

 「ずば抜けて賢明で、見事な作戦立案の才を持っている。だが、私は彼を信用しない」

 信じる者を持たず、孤独で神経質なヒトラーの陰鬱な表情が、わが国宰相の虚ろな脅え顔と重なる。

 ところで、第1次大戦敗戦に伴うGNP(国民総生産)の20年分の賠償金や、世界恐慌によりドイツが大量の失業にあえぐ中、ヒトラー率いる国家社会主義独労働者(ナチス)党は「年金支給額」や「失業保険」を大幅に増大・強化する“公約”を掲げ急成長する

 衆愚は、いつの世にも「独裁者」の、耳に心地よいだけの、派手さだけが取り柄のパフォーマンスに幻惑させられる。(九州総局長 野口裕之)

-------------------------(以上引用終わり)-----------------

震災当初、世界の新聞は「略奪」のない日本の被災者を称賛しました。次のテキサス親父もその一人です。

その称賛を台無しにして、失望と非難に変えたのは、誰あろう選挙によって政権交代を果たした民主党政権とそれを率いる菅直人首相です(ナチスが最終的に独逸の全権を握ったのは、民主主義的な選挙の結果ですよ)。

SAPIO (サピオ) 2011年 4/20号 [雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/03/30
  • 外国メディアが絶賛した「Gaman(我慢)」を台無しにした「あの会見」というタイトルで、対応が二転三転し、危機管理能力の無さを露呈した民主党政府の失態による、諸外国の日本(政府)への怒りと失望感の高まりをレポートしています。
  • 大震災は天災でしたが、その被害を拡大し続けているのは、民主党政権による人災だと、はっきり確信できました。
  • 政府関係者、いや菅直人に読んでもらいたい1冊です。

ヽ(`0(○☆ オウッ   ☆○)0 ̄)〃 アウッ と、菅直人の失政によって痛めつけられる日本・・・・

 


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